「自分の使命って、何なんだろう?」
最近、この問いが頭から離れません。
ただ、正直に言えば、「これだ」と言い切れる答えにはまだ出会っていません。
でも確かにわかるのは、使命とは“心のアンテナ”のようなものだということです。
そのアンテナが反応しないと、どれだけ前に進んでいるように見えても、なぜかしっくりこない。
それくらい、私たちの行動や選択の深いところに関わっている感覚があるのです。
「年収を上げたい」「役職に就きたい」
かつての私は、そんな明快でわかりやすい目標に突き動かされていた時期がありました。
そんな日々を積み重ねた先に、どこか満たされない感覚が残っていることに気づきました。
「この100万円の上積みは、自分の人生にとってどれだけの意味があるのか?」と。
社会的な成功や報酬を目指して走ってきたものの、
その先にふと「で、これは誰のためだったんだっけ?」という空白が残る。
そんな違和感に触れたとき、私は「使命」という言葉の輪郭を少しずつ捉えはじめたのです。
尊敬する起業家であり経営学者の田坂広志さんの著書に、こんな言葉があります。
必ず終わりがやってくるその命、一回しかないその命、いつ終わりがやってくるか分からないその命、何に使うか? その覚悟こそが、「使命感」。
この一節を読んだとき、静かに胸が震えました。
限られた命を、どこに、どう使うのか。
その問いこそが、使命の原点なのかもしれません。
自分の人生が物語として終わりを迎えるとき、
「悔いなく生きた」と思えるようにするために、使命がある──そう実感しています
とはいえ、私もまだ使命を純度100%で語れるほど考えが整理されているわけではありません。
迷いもあるし、不安もある。
でも、だからこそ思うのです。
使命とは、いまこの瞬間瞬間に命を賭して取り組む「道のり」の中で、ふと出会うものなのではないかと。
一見すると順調にキャリアを積み重ねているように見える方でも、
「この先に何があるのか見えない」と悩んでいる姿をたくさん見てきました。
そして皆、口々に言うのです。
「もっと意味のあることに、自分の力を使いたい」と。
その“意味”こそが、使命の種なのだと思います。
使命は、何か特別な場所に隠れているわけではありません。
たとえば、誰かの一言に胸がざわついたとき。
ふとした行動に全力で向き合っている自分に気づいたとき。
小さな「心の反応」に宿っているのかもしれません。
「使命がわからない」と焦る必要はない。
その違和感や問いの感度こそが、人生の軸を探る手がかりになります。
自分の使命が何なのか──
それは、立ち止まって考えたときよりも、何かに夢中になっている最中に、ふと見えてくるものかもしれません。
使命感とは、決して大げさな言葉ではなく、
「この時間を、誰のためにどう使いたいか」という小さな問いからはじまるもの。
あなたにとって、心のアンテナが動く瞬間はどんなときですか?