社会に出ると、年収や役職、会社の名前で人が語られる場面が増えていきます。
「どこに勤めているの?」「いくらくらい稼いでるの?」
そんな質問の背後には、相手を“測る”視線が潜んでいることが少なくありません。
なぜ、私たちはそこまで「画一的な指標」で比べたがるのでしょうか。
ひとつの理由は、その“わかりやすさ”にあるのだと思います。
年収や役職、企業ブランドといった情報は、数値や知名度という明確な物差しで人を評価できるため、誰にとっても理解しやすく、共通言語になり得るのです。
そして、比較の中で自分が「上位」にいるとわかれば、それが一種の安心や自己肯定感につながることもあります。
たとえば、年収1,000万円以上の人は全体の約5%強。
そう聞くだけで、“自分は少数派だ”という感覚が、無意識のうちに「優越感」や「安心」を生むのかもしれません。
けれど、その物差しに頼りすぎることで、見えなくなってしまうものもあるような気がします。
偏差値が高い人が、必ずしも魅力的な人間とは限らないように。
社会的ステータスが高い人が、すべての場面で信頼されるとは限らないように。
最初の印象を決めるラベルには、表面的な力がある一方で、
それがその人の“本質”を語っているわけではありません。
私たちが本当に見たいのは、その人がどんな価値観を持ち、どんな姿勢で働いているのか。
どんな困難に向き合い、何を大切にしているのか。
そうした“内面”の部分なんだと思うのです。
それでも「肩書き」や「年収」に引っ張られてしまうのは、
他者との比較に寄る安心を、自分の心が求めてしまうから。
けれど、その安心は、長続きするものではありません。
なぜなら、上には上がいて、数字や立場はいつか変わるものだからです。
本当の意味で自分らしく働くとは、こうした外的な指標に依存せず、
自分なりの基準で「納得して働けているか」を問い続けることではないでしょうか。
もちろん、年収やポジション、会社の知名度を否定するつもりはありません。
それらも立派な成果であり、自信になるものです。
ただ、それが“唯一の評価軸”になってしまうと、
自分の可能性を狭めたり、無意識の比較で疲弊してしまうリスクがあるのです。
「自分にとっての成功とは何か?」
「自分は、どう在りたいのか?」
そんな問いに立ち返ることで、他人の指標ではなく、
“自分の基準”で働き方を選び直すことができるかもしれません。
もし、いま少しでも“比べられている感じ”に疲れていたり、
“肩書きでは測れない自分の価値”に気づき始めているなら──
それは、内側からの静かなサインです。
本当の安心は、他者との比較ではなく、自分自身と向き合ったその先にある。
キャリアセッションでは、そうした“自分基準”を丁寧に見つけていくお手伝いをしています。
あなたは、何を基準に、自分のキャリアを選びますか?