働くって「ねばならない」ことだらけ──
そんなふうに思い込んでいた時期が、僕にも確かにありました。
やらなきゃいけないことが山ほどあって
期待に応えなきゃいけなくて
遅くまで残ってでも結果を出さなきゃいけない
そんな“ねばならない”を、どこか誇らしげに背負っていた気がします。
歯を食いしばって働くことこそが正しいと、疑うことすらなかった。
頑張ることに疑問を持つなんて、甘えだと思っていたし、そう思い込もうとしていたのかもしれません。
でも、年を重ねるにつれて──
何か大きな出来事があったわけでもないんですけど、
ふとした瞬間に、違和感を覚えるようになったんですよね。
「なんでこんなに頑張ってるんだっけ?」
「これ、本当に自分のやりたいことだったっけ?」
自分の中の声なのか、
誰かに刷り込まれた声なのか、
その境界線が、少しずつ曖昧になっていって。
もちろん、働くこと自体を否定したいわけじゃありません。
生きていくためには、働く必要があります。
衣食住を維持するための収入は、どうしたって必要で。
そこは、いわば“生きるための最低限のベース”として、割り切って受け止めている部分です。
でも、それ以上のところ──
「もっと稼がなきゃ」「もっと評価されなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」
そうやって積み上がっていく“ねばならない”の多くは、
ほんとうに自分が望んでいたことだったのか。
働く時間って、人生の大半を占めると思うんです。
だからこそ、働くって、本当はもっと自由であってほしい。
自分らしくいられて、「ああ、生きてるな」と感じられるようなものであっていい。
「こうしたい」っていう気持ちや、
「こう在りたい」っていう感覚を、
もっと信じていいんじゃないかって思うんです。
“ちゃんと働く”ことよりも、
“しっくり働く”ことを選べたほうが、
きっと、健やかで、心の底から満たされる気がするんです。
私の残りの“働く時間”は、
ただ自分のために使うだけではもったいないなと思っていて。
この “しっくり働く” という感覚を、
自分だけのものにしておくんじゃなくて、
一人でも多くの人に届けられるような、生き方をしたい。
そう思うようになったんです。
それが、今の仕事をはじめたモチベーションでもあります。
僕自身も、まだまだ模索の途中です。
でも、問いながら歩くこの道の先に、
「働くって、こんなに心地よくていいんだ」って思えるような風景が
広がっていくと信じています。
そんな世界を、少しずつでも広げていけたら嬉しいなと、心から思っています。
「働くって、こうあるべき」ではなく、
「自分にとって、こうありたい」から始める。
キャリアセッションでは、そんな“しっくり働く”を見つける対話を大切にしています。
あなたの“ねばならない”の正体、いま一緒に見つめてみませんか。