「思ったとおりにはならない。でも、やったとおりにはなる。」
何気なく目にしたこの言葉が、ずっと心に残っています。
それはただの経験則ではなく、生き方そのものに通じるような真理を突いているように感じたのです。
人はつい、未来を思い描きます。
思い通りにいけばいい。理想通りに進んでほしい。
でも、実際はそうならないことの方が多い。
どれだけ計画を立てても、状況は変わり、人は変わり、思い通りにコトが運ぶことはまれです。
私たちはつい、「こうなってほしい」と思いを強く持つことで、現実もそうなってくれるような気がしてしまう。
でも、願ったとおりにいかなかったとき、落ち込んだり、誰かや何かのせいにしたくなったりすることもある。
その背景には、どうしても拭えない“エゴ”があるのだと思うのです。
自己実現したい。承認されたい。損をしたくない。
そうした思いは決して悪いものではないけれど、あまりに強く握りしめすぎると、現実とのズレに苦しむことになる。
思い通りにいかない現実に向き合うとき、ふと頭に浮かぶのが、老子が説いた「無為自然(むいしぜん)」という思想です。
自然の流れに逆らわず、手を加えすぎず、あるがままに身を委ねる。まさに抗わない感覚です。
無理にコントロールしようとせず、状況や運命の流れに沿って、自分を調和させていく。
それは“諦め”ではなく、“信頼”に近い感覚なのかも知れません。
「世の中なんて、そんなもんだよね」
そう口にできるようになるには、案外、強さがいる。
力まず、流れに逆らわないこと。それが実は、一番自然で、本質的な生き方なのかもしれません。
「思い」だけでは現実は動かない。
でも、「やる」ことで、自分の手の届く世界は少しずつ変わっていく。
誠実に続けてきたことは、見えないところで積み重なっている。
努力が必ず報われるとは限らないけれど、やってきたことは、自分の身体と感覚に残る。
自分自身にとっての“事実”となって、支えになっていく。
逆に、ズルや手抜きをしていれば、それもまた、自分の足あととして残っていく。
良いことも悪いことも含めて、「やったとおり」にはなるのです。
思っていたとおりには進まないけれど、やったことは裏切らない。
この2つを一緒に抱えながら生きていくのが、人間という存在の不思議さなのかもしれません。
期待しすぎない。
焦りすぎない。
でも、自分が信じられることには、誠実であり続ける。
老子のように自然とともに生きるのは難しくとも、
「いまの自分は、何に抗っていて、何に流されようとしているのか」
そんな問いを持ってみるだけで、少し生き方が変わってくる気がするのです。